ニュース; マヤ アステカ文明


アステカ族は、北方からメキシコ中央高原に移住してきた人々であり、伝説によると100年あまりテスココ湖畔を放浪したのち、1345年、湖上の島に首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を築いた。その後、メキシコ中部からグアテマラの海岸部にまで勢力を広め、14~16世紀まで、アステカ王国として栄えた。

社会は最高神官兼軍事司令官である王(トラトアニ)を頂点とする身分制社会で、厳しく統治されていた。支配階級は聖職者と軍事司令官をかねる貴族で、一般市民は、親族集団や職業別に共同体(カルプリ)を形成していた。農民は低い身分にあったが王国の経済を支える礎だった。 部族のエリア

アステカ族は、自らの部族伝統の神々に加え、伝説のトルテカ族以来中央高原で信仰されてきた神々を受け継いであがめ、人間の心臓を神に捧げるという生けにえの儀式も行っていた。

アステカの暦は、2つの体系から成り立っていた。太陽の運行の観測にもとづいて作られた365日周期の暦(シウポワリ)と、260日周期の暦(トナルポワリ)の組み合わせで作られており、この2つの周期が完全に一致する52年が、いわば世紀のような意味をもっていた。365日暦は、20日間の月18か月と残りの5日で、260日暦は、1~13の数と20個の記号の組み合わせで構成されていた。一方、アステカ族の言語はナワトル語と言い、隠喩を多用する詩や散文が作られた。


テノチティトランは、スペイン人征服者たちがはじめて足を踏み入れたとき、その荘厳・壮麗さに驚いたといわれるほどの見事な都市だった。スペイン人たちはテノチティトランを完全に破壊し、現在2,000万人が住むメキシコの首都・メキシコシティに作り変えた。往時の面影を残すものといえば、幾つもの神殿が建ち並んでいた大神城テンプロ・マヨール遺跡のほか、わずかである。パイレーツ オブ カリビアン Aztec金貨



テンプロ・マヨール神殿の土台は1978年、メキシコシティの地下鉄工事中に発見された。かつては、2つの神殿を巨大ピラミッドが支え、神殿の1つは雨の神トラロックに捧げたものであり、青く、もう1つは太陽の神ウィツィロポチトリに捧げられ、赤く塗られていた。また、神殿の前面には血の生けにえを捧げるための石台が置かれていた。この神殿は6度にわたって増築されたもので、最初の増築によって作られた神殿は、ほぼ無傷のまま残っている。
この発見以降、発掘調査により80近くの建造物跡が確認された。アステカの都市跡の上を後の建物が埋め尽くす今となっては、その全貌を明らかにすることは難しくなっているが、それでも地下にトンネルを掘りながら発掘作業が続けられている。



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